「信じている」という言葉の真意はどこにある?
- Anttrice MARIKO

- 5月22日
- 読了時間: 2分
更新日:5月28日

「信じているからね!」
親が子に、上司が部下に、先生が生徒に、そして恋人に。「信じている」と投げかける場面があると思います。でも、もし私がこの言葉を言われたら「本当は信じてもらえていないのかな?」と感じてしまうかもしれません。
なぜこの言葉に敏感になったのか。きっかけは、採用の仕事をしていた時に、面接をした女性から言われた言葉でした。
「採用してくれると信じています。私は御社を信じています!」
彼女はまるで私に暗示をかけるように、じっと目を見つめながら強い口調でそう言いました。
その時に思ったのです。「失望させないで」「悲しませないで」といった不安な気持ちを打ち消すように、「信じている」と言い換えているのではないかと。
例えば、恋人同士ならどうでしょう? 互いに好意を持っているのなら、信頼は前提にあるはずです。それでもあえて「信じている」と口にするとき、その裏には「浮気しているんじゃないか?」「嘘をついているんじゃないか?」と不安が隠れていることも……。
本当に信頼しているのなら、あえて言葉にしなくてもよい場面もあります。「信じている」という言葉は、相手のためというより、自分自身を安心させるために発している場合もあるのかもしれません。
あるチームスポーツの日本代表キャプテンを務めた方にインタビューした時のこと。
「仲間を信じてプレーしている」と語っていました。もちろんその言葉には嘘偽りがなく、仲間との関係性を語る言葉に、胸が熱くなるほど感動したのを覚えています。
相手との関係性やそこに至るまでの過程によっても、「信じている」という言葉の真意や受け取り方は大きく変わるはずです。

